日本で一生のうちに一度は腰痛になる人の割合を示す「腰痛の生涯有病率」は、80%以上におよぶと言います(松平浩ら調べの全国調査、Fujii T, Matsudaira K, 2013)。「腰痛は腰にたまる“借金”」と例える、東京大学医学部附属病院特任教授の松平 浩さんに、「腰痛借金」がたまるメカニズムや、腰痛の予防・改善に効果的な体操などを伺いました。
知らず知らずのうちに
たまる「腰痛借金」とは
デスクワークで長時間パソコンに向かう、スマートフォンでSNS(会員性交流サイト)などをこまめにチェックする……。このような日常の動作を行う時、体は前かがみになったり、猫背になったりしやすくなります。
こうした悪い姿勢を長く続けていると、腰のまわりにある背骨に負担がかかり、腰痛を発生させる要因となります。この腰まわりに蓄積された負担のことを、イメージしやすいよう「腰痛借金」と名付けています。
「腰痛借金」は、ちょうどベルトの位置に当たる第4腰椎(L4)、第5腰椎(L5)の椎間板を中心に蓄積します(■姿勢が良い人の背骨と椎間板の状態図参照)。
椎間板は背骨を形づくる小さな骨、
背骨がゆるやかなS字カーブを描いた良い姿勢では、椎骨と椎間板がバランスよく交互に積み重なっています。
しかし、猫背など悪い姿勢が続くと、背骨のS字カーブが崩れ、椎間板に偏った負担がかかります。すると、椎間板の中の髄核がその力で押し出され、本来の位置である中央から背中の方へとずれてしまいます。
この髄核のずれによって周囲の線維輪が傷つき、炎症が広がった状態が「ギックリ腰」です。髄核がずれた状態のまま腰に負担をかけ続けると、線維輪から髄核が飛び出して神経を刺激し、「椎間板ヘルニア」を引き起こす原因になります。これらの症状は、「腰痛借金」が増えすぎた結果生じる、一種の事故と言えます。
※松平 浩先生の取材を基に作成
心理的なストレスも
腰痛の危険因子の一つ
前かがみや猫背などの悪い姿勢のほか、重いものを不用意に持ち上げる、急に腰をひねったり伸ばしたりするなどの無理な動作も、腰まわりに負担をかけ、「腰痛借金」を増やす危険因子となります。
同時に、仕事への不満や人間関係の悩みといった心理的なストレスも腰痛の一因となることが多くの研究結果から分かってきました。
過度のストレスが長期間続くと、“悲観脳”と呼ばれる脳の
ストレスが引き起こす主な身体症状として、睡眠障害や疲労感、めまいや耳鳴り、息苦しさ・
特に、慢性的な腰痛に悩まされている人や、ひどい腰痛を経験したことがある人は、「また痛くなったらイヤだな」という不安や恐怖心から「腰痛借金」がたまりやすい傾向にあります。脳にはもともと痛みを抑える機能がありますが、ストレスを抱え、「腰痛借金」をためすぎると脳機能が不具合を起こします。その結果、さらに痛みに過敏になり、痛みが長引き、ますますストレスをため込みやすくなるといった腰痛の“負債ループ”に陥りやすくなります。
※松平 浩先生の取材を基に作成
こんな症状ないですか?
腰痛の状態をチェック
腰が痛い時は無理に体を動かさない方が良いと思っている人は少なくありませんが、「腰痛借金」を完済し、痛みのない体を保つためには適度な運動が欠かせません。
しかし、深刻な病気を伴う腰痛の場合は、病院での専門的な治療が必要です。自分の腰痛の状態を下のチェックシートで確認してみましょう。
□横向きでじっと寝ていても腰がうずくことがある
(内科的な病気や悪い背骨の病気が原因の可能性)
□痛みがおしりから膝下まで広がる
(ヘルニアなどによる神経痛の可能性)
□① 腰をあまり反らすことができない
OR
□② 体を反らせると痛みや不快感がある
OR AND
□③ 何回か前屈すると痛みや不快感がある
※松平 浩先生の取材を基に作成
上段の2つの項目のいずれかに該当した場合や痛み止めを使っても頑固な痛みがぶり返すような時は、整形外科を受診してください。
下の段の1~3のいずれかにチェックがついた場合や、デスクワークなどで姿勢が悪くなりやすい人は、この後紹介する「これだけ体操」を習慣化するとよいでしょう。
前かがみになる時は
腰負担を減らすハリ胸習慣
物を持つなど、日常のちょっとした動作で無防備に前にかがんだりすると、骨盤が後傾して背中や腰を痛めやすくなります。そんな時に、下記のような姿勢を無意識に取れるようになると、日常生活での腰への負担も軽減できるようになります。
座りっぱなしで疲れた時や仕事の休憩時間など、自分に合ったタイミングでこまめに行い、このポーズを体に覚えさせましょう。
ついでにそのまま足腰の筋トレとしてスクワットを何回か行えば、カロリー消費にもなります。
- 1.両手指をお尻のあたりで組んで、肩甲骨を寄せしっかりと胸を張る。
- 2.肩甲骨を寄せ胸を張ったまま、お尻を突き出す感じで上体を太ももの付け根(股関節)から前にゆっくりと倒す。骨盤を前に倒すイメージで行い、ハムストリングス(太もも裏)が痛気持ちいい感じで伸びていることを感じます。
- 3.何かを持ち上げる時は、この姿勢から膝を曲げると腰に大きな負担が掛からない。腰に大きな負担のかかる重量挙げの選手がバーベルを持ち上げる時の姿勢に近い。
※松平 浩先生の取材を基に作成
★痛みや違和感がある場合は、無理をしないでください。
「腰痛借金」の返済に最も効果的
「これだけ体操」
「これだけ体操」はその名のとおり、腰痛借金の最もたまりやすいL4/5椎間板あたりであるウエストラインで、骨盤をしっかりと押し込み上体を反らして3秒間キープするだけの体操です。
お尻に両手を当て、骨盤をしっかり前へ押し込むことで、後ろにずれた椎間板の髄核を、元の正しい位置に戻すことができます。また、凝り固まった背中の筋肉の血流を改善し、痛みを起こす物質の分泌を減らす効果もあります。毎日繰り返すことで痛みへの不安や恐怖も取り除くことができるため、慢性的な腰痛に悩んでいる人にもおすすめです。正しいフォームで行えば、猫背が続いて乱れた背骨のS字カーブをリセットすることにも役立ちます。
- 1.足を肩幅よりやや広めで、つま先が開かないよう足が平行になるように立ち、お尻に両手を当てる。できるだけ両手を近づけて指をそろえ、すべての指を下に向ける。
- 2.あごを軽く水平に引き、息を吐きながら、しっかりと骨盤を前へ押し込んでいき、ゆっくり上体を反らしていく。痛気持ちいいと感じるところまでしっかりと骨盤を押す。
- 3.両手でしっかり骨盤を前に押した状態で、息を吐き続けながら3秒キープする。
- 4.ゆっくり元に戻す。
予防のためには、毎日1~2回正しいフォームで丁寧に無理のない程度に行いましょう。チェックシートでの①~③のいずれかに該当した方および腰痛ベルトに依存している慢性腰痛の改善のためには、押し込みを少しずつ強めながら少なくとも10回は繰り返して行うと効果的です。
なお、骨盤を前へ押し込み上体を反らした時に、お尻から太ももにかけて痛み・しびれが出る場合はその場で中止し、整形外科を受診してください。
※松平 浩先生の取材を基に作成
★体操後に、痛みや違和感が10秒以上残る場合は、無理をしないでください。
腰の左右差や反り腰の
改善におすすめの体操
腰の左右どちらかに違和感がある場合は、下記「腰の左右差改善体操」も効果的です。
- 1.足元が滑らない場所で、壁に対して横向きになり、壁から少し離れて立つ。
- 2.手のひらからひじまでを肩の高さで壁につき、腰(骨盤の上部)を壁側へ押し込むイメージで上体を壁の方へ曲げる。きついと感じるところまでしっかり曲げる。身体が“く”の字になるように。左右どちらが曲げにくいか確認する。
- 3.「こちら側のほうが曲げにくいなぁ」と左右どちらかに違和感・不快感や硬さがある場合は、曲げにくいと感じる方の腰(骨盤)を、壁の方へ向かってゆっくり息を吐きながら、しっかりと押し込んでいく。徐々に上体を曲げる力を強めていく。
- 4.左右差がなくなるまで繰り返す(3日に一度、1~3を1セットとして5秒ずつ5回行うのが目安)。
※松平 浩先生の取材を基に作成
★体操後に、痛みや違和感が10秒以上残る場合は、無理をしないでください。
反り腰気味の女性が、長時間立ちっぱなしで腰に不快感を感じた際には、下記「反り腰・立ち仕事の方用体操」を行うと良いでしょう。
- 1.椅子に腰かけ、足をできるだけ広めに開く。スカートの時は、膝をつけたままでも構いません。
- 2.息を吐きながらゆっくりと背中を丸め、無理なくかがめられるところまで曲げて、床を見ながら息を吐き続けつつ3~5秒間保つ。リラックスした気持ちで1~2回行う。
※松平 浩先生の取材を基に作成
★体操後に、痛みや違和感が10秒以上残る場合は、無理をしないでください。
悪い姿勢をリセット&
ストレス解消も習慣に
デスクワークの時も、できるだけ猫背にならないよう気をつけ、良い姿勢を保つよう心掛けることはもちろん大切です。しかし、仕事に没頭している時に姿勢のことまで気をつけるのはなかなか難しいのも事実です。
そこでお勧めしたいのが、1時間に1回程度、悪い姿勢をリセットし、「腰痛借金」をためにくくする習慣です。長時間座りっぱなしでいることは、生活習慣病になるリスクを高め健康寿命の延伸を妨げることが分かっていますので、立って1回だけでよいので、正しいフォームで骨盤を前へ押し込み腰痛借金をその場で返済し、かつ背骨のS字カーブのリセットにも効果的な“これだけ体操”を習慣化すると良いでしょう。
また、心理的ストレスによる「腰痛借金」を減らすためには、ストレスと上手に付き合っていくことが欠かせません。
「幸福ホルモン」と呼ばれる快の感情に関わるドーパミンや精神状態の安定に寄与するセロトニンは、好きな音楽を聴く、テンポよく歩く、深呼吸をする、自分の素直な気持ちを開示して話を聞いてもらう、といった行動で分泌が促進されることが分かっています。落ち込んだり、イライラするなどネガティブな感情の時に取り入れてみるのも一考です。
さらに、仏教の
自分に合った方法で、穏やかな心を保っていきましょう。それが、腰痛予防にもつながります。
運動器疼痛メディカルリサーチ&マネジメント講座 特任教授
1992年、順天堂大学医学部卒業後、東京大学医学部整形外科教室に入局し腰痛・腰椎グループチーフを経て、2008年、英国サウサンプトン大学疫学リサーチセンターに留学。09年、関東労災病院勤労者筋・骨格系研究センター センター長に就任。16年4月から現職。腰痛や肩こりのリスク要因に関する研究に取り組み、体操の開発・指導にも注力。15年に放送されたNHKスペシャル『腰痛・治療革命』に出演、監修にも関わる。著書に『腰痛は脳で直す! 3秒これだけ体操』(世界文化社)、『腰痛は「動かして」治しなさい」(講談社+α新書)など著書多数。18年12月には、カラー写真のムック本である『3秒から始める 腰痛体操&肩こり体操』(NHK出版)が発刊予定。美しい姿勢の構築をビジョンとする東大発ベンチャーであったトランクソリューション株式会社技術顧問。LINEで腰痛・肩こり体操の習慣化をサポートする